大和魂。そして、数字。 ~萩への道。 ⑤ [アウト・ドア・ライフ]
萩の話をつらつらと書いてきましたが・・・
やはり、吉田松陰さんの、
松下村塾を外すワケにはいかないでしょ~
小学校の修学旅行で見たまんま(萩の街はどこでもそうだけど)に、
ありました
小学生の頃は、
「江戸時代に外国に行こうとした、勇気のある人」
「伊藤博文の先生」
「安政の大獄で死刑になった人」
って認識しかなかったのですけど、
この吉田松陰さんって本当に、すごい人です。
松陰神社 今や、学問の神様です。
では・・・
吉田松陰さん、
この人、2回も外国に行こうとして失敗してるんです
前に紹介した『長州ファイブ』は、運がいい
この人の話はややこしいから、ザッといきます。
2回目の密航に失敗した松陰さんは、萩の野山獄ってとこに
投獄されてたのだけど、
その後、生家に幽閉の身となります。
その部屋が・・・
ここ。
そして、しばらくするうち、
家族の勧めで開いたのが・・・・
松下村塾
人がいないように見えるかもしれませんが、
観光客がかなり多くて、このショットを撮るのに苦労しました(笑)。
で
松下村塾。
実は、松陰さんが開いたものではないんです。
叔父さんが前につくっていた私塾。
実際に松陰さんもそこで学んでいました。
要は、叔父が開いていた塾を再開したってこと
講義室は・・・・
こちら
塾生は・・・
木戸孝允(実際は違う)、高杉晋作、久坂玄端(松陰の妹と結婚)、
伊藤博文(初代内閣総理大臣)、山県有朋(第3・9代総理大臣)、
吉田稔麿(池田屋事件で討ち死に)、前原一誠・・・・・・近所の子ども達まで
子ども達は人数に入れないにしても、
約80人はいたとされています。
で・・・ここで、ウチのダーリン・・・
「ねぇ、吉田松陰って、結局何を教えよったと?」
「数学と国語じゃないのは、
間違いないやろね~」
二人で大笑い・・・・
この松陰さん、普通のことと他に、
佐久間象山に蘭学と砲術を学んでいます。
当時の『勉強』って、今みたいに決まった授業をするわけじゃあないから、
自由に・・・・・『話し合い』
孟子とか、兵学とか・・・もろもろ。
松陰さんの本当のすごいとこは、
人を育てること。
一言、ひとことがスゴイから、人があんなについていってるんですね。
語録すらあるし・・・・。
では。
ここで、私が一番言いたいこと。
松陰さんのウンチクとか、実はどーでもいいのですよ
タイトルにも書いた、数字の話。
この人、亡くなったのは29歳。
いいですか~(金八先生風に)♪
じゃあ、松下村塾は何歳で開いたのか?
って、普通に疑問がおこるでしょ?
色んな資料で、年齢が違ってくるのだけど、
26か27歳くらいだよ
というのも、松陰さんが塾で教えてたのって、
2年半 とか3年ってモン。
実際は、1年くらいしか講義してないって話だし。
はいっ
言いたいこと、分りますよね?
この松陰さん、「どんだけ~~~?」な人でしょ
その若さで、それだけの短い時間で、
『時代を動かす人間を多くつくった』んですからね。
『一人』でも、育てるのは大変だよ~
学ぶ側も、そりゃあ秀才だったんだろうけど、
松陰さんは、スバ抜けた天才としか、言いようがない
さて。
この松陰さんのお言葉を。
身はたとひ
武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂
処刑される前、獄中で書いた『留魂録』の冒頭から。
* 松陰さんのお墓は、東京にあります。
萩にあるのは、亡くなって100日目、遺髪だけを埋めたもの。
靖国神社にも祀られています。
私も吉田松陰さんの住まい跡は見学してきました。
没年29歳ですが、若し生きていたら総理大臣になった人なんでしょうね。
by お散歩爺 (2007-11-01 10:56)
旅爺さま、
やっぱり~~~。
私は小学校の修学旅行以来なので、
萩はちょっと懐かしい場所です。
ホント、生きてたら、総理大臣だったかもです。
by w-mi (2007-11-01 11:02)
夏目漱石も、ごくわずかな執筆期間であれだけ大勢の門下生を作った謎の人ですが、松蔭さんもすごい人ですね!
by のりりん (2007-11-01 11:10)
またまた勉強になりました!
29歳の若さでそれだけ立派な人だったのですね~。
こうして後世に名を残す人ってほんとすごいですね。
by りり (2007-11-01 11:16)
日本史の講義 ○/ ̄乙 オツカレデス♪
歴史の紐を解くと・・・そういうことだったのね!! (゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン
本日も大変勉強になりました♪ で何が美味しかったのよ???・・・(爆)
by ダー (2007-11-01 11:37)
この時代に外国へ学びに行こうとする事が、まずは素晴らしいと思います。
命をかけてってのが、すごいですよね。
佐久間象山って(今、ちゃんと一発変換できた事にびっくり!!)萩の方だったのでしょうか??
名前は知ってるけど、実はよく知らない…。
う~~ん…幕末は良くわからないぞσ(^_^;)アセアセ...
by koume (2007-11-01 17:08)
学ぶ人がいくら優れていても、
その才能を開花させ伸ばすことのできる
すぐれた指導者が必要なんですね~。。。
26~7歳の頃、、、
ボクはな~んにも考えずに
サラリーマンやって飲んだくれてました、、、(・_・;
by (2007-11-01 18:00)
駆け足というよりも、爆走人生だ・・・(・ω・;A)
30前なんて、殆ど何も気がつかずに浮かれて人生送ってるよね。
昔はそういえば、人生50年っていったし。
気がついたら人生終わっちゃったっ・・・てならないようにしないとねー
by nicolas (2007-11-01 18:04)
天才ってやっぱり一瞬の煌めきなんだよな。
だから夭折しちゃうんだろうな。
by 李 萬中 (2007-11-02 01:30)
のりりんさん、みなさん、
おはよ~♪
漱石さんも、松陰さんも、
共通してるのは・・・なりふり構わず???
りりさん、
小学生の頃は29歳って、ピンとこない年齢でしたが、
自分が越えてしまうと、
『この人って、一体・・・』と、妙に思います^^;
で、ダーさん・・・・(笑)。
「美味しかった」話は別件で^^;;;;
実は、前にアップした記事と同じような目にあいまして。
も~~~、美味かったのだけど、
とんでもない目に^^;
koumeさん、
佐久間象山・・・お~! 確かに、一発変換だ!!!
たろうさん、
松陰さんのことを書こうとすると、
実はとっても大変^^
逸話がありすぎなんで、やめました。
にこちゃん♪
鳥獣保護区、見ましたよ~^^v
お役に立てて嬉しいです。
で・・・爆走人生☆ ですよね~。
松下村塾開く前に2回も渡航に失敗というか、
本当に運がなかったみたいです。
萬中さん、
そうだね~~~。
でも、あの時代に『天下は一人の天下』って口にすれば、
幕府に目をつけられるのは当然で・・・。
しかし、門下生がそれなりの人生を歩んだというのは、
松陰さんの気持ちが伝わってるってことなのでしょうね。
by w-mi (2007-11-02 07:44)
たった1年だったんだ、、、
知らなかった(^^;
by (。・_・。)2k (2007-11-02 17:13)